もし愛車から何らかのオイルが漏出しているとすれば、ゆゆしき事態。
つい先日、高速道路でハンドル操作が効かなくなるという事態に巻き込まれた恐怖体験から、(死ぬかと思ったon高速道路をご参照ください:コチラ)
未だ立ち直れない私は、油シミの出自が愛車だとしたら、車を走らせることなど、どうしてできましょうか。
私「で、結局、高速走らせて大丈夫ってこと?ダメってこと?」
夫「燃えたりはせんよ」
私「燃えてたまるもんですか!」
夫「大丈夫と思うけど、リスクがあるという可能性はゼロではない。この言い方、医者っぽいねえ」
私「・・・。」
私の平穏な日常はこの油のシミによって急速に脅かされ、先日の高速道路の恐怖まで思い出す羽目になったという事態に対し、無性に彼に腹が立ちました。
大体、車からオイルが漏れるとか、私の人生において、今まで注意を払う必要なんてありませんでした。
なぜなら、私は、長く国産車に乗っていましたから。
そりゃあ、国産車だったら、絶対壊れない、なんて言いませんよ。
しかし、某外国車とはその故障の頻度において絶対的有意差があると言わざるを得ません。
自動車学校では、確かにボンネットの開け方を習ったような気がしますが、それから20年、自分でボンネットすら開けたこともない私が、なぜ今こうして、度々の車の故障(かもしれない)事態に頻繁に出くわさなければならないのでしょうか。
それは、夫が某外国の車を偏愛しているからではないのか?
夫の趣味を尊重して、国産車を売り払い、彼の好みにすり寄せた私がバカだったのでしょうか。
ムカムカスパイラルはぐるぐると巡り、脳天をつき破る勢いで増大します。
彼はすぐさまディーラーに点検を依頼しました。
こうした時の彼の対処の素早さには目を見張るものがあります。
なぜなら、そんな事態に慣れているから。
某外国車を偏愛する彼にとって、車の不調は、妻の不機嫌の如く、日常茶飯事なのです。
一つの油のシミから勃発した不安と夫婦のスレ違いは「すき焼き」という日常の平和にじんわり変換されました。
我が家の平和は、自我が強いようでいて、実は彼の好みに合わせ、色々忘れやすい明るい良妻に支えられています。
そうだよね?まこと君?
西田美穂