美容医療における「自然さ」って、
なんとなくみんなが使っている言葉だけど、
よく考えると、すこし不思議な言葉でもある。
「自然な仕上がり」と言うとき、
それは「変化を少なく」という意味なのか、
それとも別のなにかなのか、
ふうむと、立ち止まる。
変化が小さいことが自然だ、
という考え方は、たしかにわかりやすい。
やりすぎない、いじりすぎない、
結果として「ナチュラルだね」と言われる。
それはひとつの正解だと思う。
でも、変化が少ないことと、
自然であることは、
ほんとうに同じなんだろうか。
美容外科の広告にあるような
before/afterの「静止画」を見ていると、
きれいに整っているし、違和感もない。
けれど、その人が笑ったときや、
ふとした瞬間に見せる表情まで含めて、
「その人」でいられるかどうかは、
その写真だけではわからない。
人の顔は、動くものだから。
むしろ、「自然さ」というのは、
動いたときにこそ現れるものなんじゃないかと思う。
笑ったときの柔らかさとか、
話しているときの目元の動きとか、
そういう連続した変化の中で、
その人らしさが保たれているかどうか。
そのときに、どこかひっかかる感じがあれば、
それはたとえ静止画で美しく見えても、
「自然」とは少し違うものになる。
じゃあ、その「その人らしさ」はどこにあるのか。
ここからは、ひとりで考えても、
なかなか答えが出ないことが多い。
診察室で、患者さんと話す。
「ここが気になる」と言われたところから始まって、
写真を見たり、表情をつくってもらったり、
ときどきこちらから「こう見えることはありませんか」
すると、最初に言葉にされていた悩みとは、
少し違うところに、
その人の印象の軸のようなものが見えてくることがある。
目元の印象だったり、
笑ったときの柔らかさだったり、
口元の品や、輪郭の重心だったり、
あるいはその人特有の表情の癖だったり。
すぐに「これですね」と言い当てられることは少なくて、
いくつかの可能性を行き来しながら、
「ああ、たぶんこのあたりだな」と、
だんだん輪郭が出てくる。
そうやって見えてきた軸を、
壊さないようにする。
つまりは、必要なぶんだけ整える。
そう考えると、
自然さは「どれくらい変えたか」ではなくて、
「どこをどう変えたか」で決まる。
もっと言えば、
注入量や切除量の問題というより、
設計と優先順位の問題なんだと思う。
少ししか変えていなくても、
軸を外してしまえば違和感は出るし、
ある程度しっかり手を入れていても、
その人の印象が保たれていれば、
むしろ自然に見えることもある。
「自然に」という言葉は、
控えめに、という意味だけでは足りなくて、
その人らしさにどう近づくか、
という相談なのかもしれない。
診察室でのやりとりは、
一方的な答え合わせというより、
いっしょに地図を描いていく作業に近い。
最初からゴールが一点で決まっているわけではないけれど、
話しながら、見ながら、
少しずつ「あ、この方向だね」と揃っていく。
その過程ごと含めて、
「自然さ」をつくっているのだと思う。
ま、全然たいしたことも言ってないんだけれど、
このクリニックの方向性は、
なんとなく伝わるといいなと思っています。
西田真が当院の治療思想を語る三部作
①「自然な美容医療って?」こちら
②美の調律 〜Tuningという考え方〜こちら
③あれも調律、これもTuning こちら